2020.10.19

日々は退屈で淡々とした”おこない”の繰り返しであっという間に流れてしまう。

 

それに抗うかのように再開したブログだけれど、単調だと思っていた日々の中でも様々な感情が波のように次々と押し寄せては引いていく。

言葉にしなかっただけで、この感情の波に今までの私も身を任せながらここまで流れるように生きてきたのだ、ということにも意識するようになった。

 

卵、牛乳、パン、コーヒーの粉、トイレットペーパー、洗濯洗剤….

 

ついこの間に買ったと思っていたのにすぐになくなっていく食材、日用品。

なくなった分を補うだけのつまらない買い物に、ここ最近嫌気がさしていた。

ただただ消費するばかりの買い物。

 

洗濯物を干す、取り込んで畳む、アイロンがけ、洗濯機を回す

 

この一連の作業にも、なんなんだ!いつまで続くのか!これが永遠なのか!と文句ばかり垂れてしまう。

 

「ワクワクする買い物がしたい!」

 

と夫に口走ると、何か欲しいものを買ってもいいよ、と言う。

違う、そうじゃない。

欲しいもののために高いお金を支払うことにも罪悪感というか、すっきりしない気持ちがある。

我が家の財政は、私のワクワクのために散財できるほど潤ってはいない。

 

この話を友人のナナちゃんに話したら、共感してくれて、

 

「まりちゃん、それ “おこない”って言うんだって」と教えてくれた。

 

面白くはないけれど、やらないと生活は整わない。

やることに意味を見出せなくても、淡々と、黙々と、続ける。

誰のため、だとか何のため、とかは考えない。

”おこない”は永遠に続く。

 

気の遠くなるような話だけれど、この今の”おこない”の積み重ねがもしかしたら未来の自分の体を少しだけでも軽くしていくことできるのかもしれない、と前向きにイメージできる話でもあった。

 

ナナちゃんはいつも私に夢を見せてくれる。

 

今は重い腰が、少しでも軽くなれていたらいいなあ。

 

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まだ終わっていないけれど、10月はいろんな感情が自分の中を行ったり来たり、そして流れていく一月だった。

いろんな価値観に出会い、周囲と自分の間にある境界線が浮き彫りになって悲しくなることもあったけれど、そのおかげで改めて自分の居心地の良い場所が分かった。

 

離れていくと感じた人もたくさんいたけれど、数は少なくても心が通わせられる大事な人がいるという心強さも得た。

 

このひと月の経験の中で、人に対しての気持ちの整理も前よりも思考を停止せずにできるようになった気がする。

 

腹が立つことを曖昧にせず、きちんと怒ることも必要。

しかし相手を憎みすぎないことも大切だということ。

 

自分の思い描く形が変わっていっても、それを受け入れて変わっていく形の行方を見守ること。

 

2つ目の気づきもナナちゃんが教えてくれた。

ナナちゃんは私に現実もたくさん見せてくれる。

 

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この間、久しぶりに近所に住む親戚のゆみこさんに会いに行った。

 

ゆみこさんは真っ白な部屋に住み、急に突撃する私をゆるりと迎えてくれるありがたいお姉さん。

いつも濃いコーヒーにたっぷりの牛乳を入れてくれて、フカフカのソファで私は眠ってしまいそうなほど寛ぐ。

 

近況として、お家が大好きだったゆみこさん夫婦が釣りにハマっていたのは驚き。

そしてその平和さが人に疲れた今の私に優しく染み入る。

 

家族ではないけれど近い距離、そしてどこにも属さないゆみこさんには何でも話してしまう。

そしていつも、ゆみこさんのやわらかくもスカッとする返しに元気付けられるのだ。

母方の親戚と同じ筑豊弁で話す、少しぶっきらぼうで優しい言葉たち。

 

ゆみこさんはどうしてこんなにも達観した考え方ができるのだろうと、すっかり元気を取り戻して家に帰ってからいつも思う。

きっと辛かったりしんどかったことも含めて、私が計り知れないほどのいろんな経験をしたゆみこさんだからこそ出た言葉なのだと思う。

説得力もあるけどゆるくて押し付けがましくない。

 

人との関係で悔しいこと、憎たらしいことがあったら

 

「アイツ!風邪でもひけっ!」と心の中で言っちゃればいいんよ。

それでおしまいよ。

 

と笑うゆみこさんはとってもお茶目。

 

血縁に縛られる考え方は好きではないけれど、ゆみこさんが親戚でいてくれることがすごく頼もしい。

 

私は今日も人に支えられて生きている。