2021.8.15
名古屋市民になってから15年ほどが経つのに「ういろう」を食べたことがなかった。
存在は知っていたし、味の想像もなんとなくは分かるから、正確にはきっと一度は食べた経験はあったのだろうが、それがいつだったのかももう忘れてしまっている。
2021年8月15日、今日、私がきちんと記憶する人生の中で”初めて”ういろうを食べた。
お盆のお仏前へのお供え物として娘たちが選んだのがういろうで、冷蔵庫に閉まっていたのを見た時、初めてういろうに対して食欲が生じたのだ。
私のういろうに対してのイメージは、甘すぎるほどに甘い、重たい、ずっしりとしている。
おそらくきっと、私はういろうと羊羹を混同していたのだと思う。
グラスに注いだアイスコーヒーのお供に口に運んだういろうは、そのイメージとはかけ離れていた。
プルプルとした食感でとても軽く、味も甘ったるくない控えめで優しい甘みで、マジックカットになった包装で手も汚さずに食べられてノンストレス。コーヒーにもよく合う。
それは、一言で言えば「最高」だった。
味も食感も、頭の中に先入観があったことが良い方向に作用したのもあると思うが、心地よく裏切られた感があって意外性もあって、何より美味しかった。
「なにこれ、すごく美味しいね」と塗り絵をする娘たちに声をかけると、娘たちは給食で地元の”名古屋めし”が出る日にういろうを食べたことがあり、その美味しさは当然知っているようで「ね、美味しいよね。」と軽くサラリとあしらわれてしまった。先輩、、、!
こういうことが私はよくある。
存在や、それに対するある程度の知識はあっても、本質的にそのものを知る経験がなく、ある日突然その良さに気づいて感動するのだが、周囲の反応は数年、十数年単位で先をいっていて、1人私は置き去られる。
クイックルワイパーというものがある。
もちろん、その存在は前々からよく知っているし、これは実際に自分で使っていた記憶もちゃんとある。格好としていかにも「掃除をしている」という形を取れるし、掃除後のシートを見れば真っ黒に汚れていたり埃がたくさん付いていると「掃除をした!」という達成感も得られてとても気持ちのいいものだ。
一人暮らしをしていた頃や新婚の頃はよくクイックルワイパーで掃除をしていた。
しかし、このワイパーは短いスパンで掃除をする、そもそもが綺麗好きな人へ向けた掃除道具であり、一週間に一度ほどのスパンでしか床掃除をしない私には圧倒的に掃除機の方が便利だし楽だという考えに至った。さらに、シートを買い忘れる、ストックがなくなる、ということが続くと一気にクイックルワイパーを使った掃除へのやる気が減退し、そのうちにワイパーは洗濯機の隣の細い隙間に忘れ去られ、いつの間にか使うことがなくなっていった。
数年前、我が家にダイソンのコードレス掃除機がやってきたのもクイックルワイパーの存在にトドメを刺した。
コードレス掃除機というものは偉いもので、ワイパーと同じような手軽さで掃除ができるし、目に見えて埃が吸えるし、何よりもシートのように取り替える付属品がないのも良い。
私はすっかりこのコードレス掃除機に夢中で、これがあるから我が家の床掃除は安泰、という安心感までもがあった。
けれど、このダイソンの安心感に胡座をかき、長年感じていた現実には目を背けていた。
ダイソン後でもなんか、こう、床がザラザラとするのだった。
私だけが感じていたのではない。家ではほぼ裸足の娘たちも時々、ザラザラする床を感じている素振りをすることがあったから間違いはない。
今日、なぜだか私は数年ぶりにクイックルワイパーを手にしていた。
古くなったソファを処分して床の面積が広くなったことや、夏休み中で普段よりも掃除に時間をかけた生活リズムになっていたことや、いろいろな要因があったのだろうが、とても自然に私はクイックルワイパーをしよう、という気持ちになっていた。
そして、驚いた。
クイックルワイパーをした床はとても綺麗になり、ツルツルと輝き、見ないふりをしていたザラザラは少しも感じなかった。
それは、一言で言えば「最高」だった。
「ねえねえ、クイックルワイパーってすごいんだよ!」と誰かに伝えたいくらい感動した。
テレビコマーシャルでも何代にもわたってその素晴らしさは全国的に知らされているし、今やほとんどの家庭にも普及しているだろうが、私は今日初めて本質的に、この商品の気持ちよさを体感したのだ。
そしてそんな今日だからか、私は約1か月ぶりにパソコンを開いてブログを書いている。
このブログの更新頻度こそ、毎日コツコツとすることが苦手で、衝動や感覚で物事を進めたり止めたりする面倒臭い私という人間のバイオリズムそのもののような気がする。
物書きになりたい、とも思うけど、こんな甘ったれた衝動でしかパソコンを開けない今の自分には無理だと思う。
ライターとして働いていた時はたった50字のコピーを書くだけで胸が躍ったし、コピーの数が増えれば増えるだけやる気が出た。けれどだんだんと任せてもらえる仕事が増え、1ページ全て、見開きで、しかももうこれ以上膨らまない地方の観光地の見所紹介、などというレイアウトになると一気に憂鬱な気分になっていき、文章を書くことが辛い修行のようなものになることも多々あり、自分はライターには向いていないと落ち込み嘆いていた。
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デザイナーから手渡されたレイアウトに並ぶこの四角の羅列が、何も言葉が出てこないままパソコン画面を空虚に眺めている時は呪いに見えた。
今の私だったら、この四角とどう向き合うだろう。
書きたくて書きたくてたまらない衝動が、甘ったれたものではなくて、仕事として受けたものだったら、あの頃50字を埋めた勢いで案外見開きページもスラスラと書けるのかもしれない。
ライターの職を離れた今でも、書くことがやはり私は好きだ。
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私は人生に時間がかかりすぎる。
もしかしたら、人の倍以上の時間が必要なのかもしれないとすら思う。
この歳になって、もう一度やり直したいことだらけだ。
仕事も、勉強も、人間関係も、趣味も。
もっとこうしておけばよかった、という思いも、
あの時にたくさんチャンスやヒントはあったのに!という悔しさも、
全て気づかずにスルーしてしまった私は、もう逃れようもない私で仕方はないのだけれど。
例えば自由に身体も心も動けるのが70歳くらいまでだとして、私はその年齢になるまでの人生で今よりも一つ一つ階段を上って高い場所へいくイメージを持っていた。去年よりもできることを増やしたり、新しいことに挑戦したりして、小さなことであっても成長している自分をイメージしていたかった。
けれど、自分というものは大して成長なんかしていないという現実も知った。
なんなら、私は14歳の私と大差ないと思わされる出来事がここ最近でいくつかあった。
いわゆる”中二病”?
私は未熟で、それはイタく、かっこ悪いものなの?
自問自答するのも束の間、14歳の私は14歳のまま何度もその14年間を旅することが人生なのだと思うようになった。28歳の頃の私も14歳の私と同じだし、次のサイクルが巡る42歳になっても、きっと14歳の私がいたる所に顔を出すだろう。
みっともなく幼く、愛しい14歳の私。
私が、私自身を一番嫌いであり好きだった時期だと思う。
14歳の私は人生に目標も夢も見つけることはできなかった。
それはしょうがないよ、まだたったの14歳だったじゃない。と今の私が慰める。
人よりも時間をかけて、36歳になった私にはあの頃よりももう少しは世界や自分を見つめることができて、ようやく目標や夢のようなものにも近づいた気がする。
14歳の頃とは、それを叶える道筋も可能性も違ってしまってはいるけれど、ようやく、「看護師になりたい!」「学校の先生になりたい!」と目を輝かせて夢を語っていたあの頃の同級生の気持ちが少しだけ分かるようにもなった。
夢を持てなかった14歳の私には、世界は遠すぎて漠然としすぎていた。
大学で学ぶことを選ぶ18歳の私には、夢と現実の境が朧げすぎた。
36歳の今の私は、ようやく自分がやりたいことが見えてきた。
時間がかかってしょうがない私の人生を諦め、認める。
そしてそのことに気づいた今から、もう一度やり直していきたいと思っている。