2021.6.8

車で30分以内の世界にはたくさんの偶然がある。

 

以前の記事でも書いた、長女が去年から習い始めたスイミングスクールの待合室で顔見知りになったお母さん。

私とは数ヶ月前から単なる子どもの習い事を通じて知りあった関係のはずなのに、夫と古くからの知り合いだと分かったその日から、毎週いろんな話をするようになり、私にまでも昔からの友人のように接してくれる。

この前は我が家にも遊びに来た。

ただのお茶ではなく、用事があって来たのだけれど、生き方とか、今まで彼女が大事にしていることや価値観、今彼女が必要としていること、など深い話まで聞いてしまった。

「ちょっとおトイレ借りるね」と言った彼女は、トイレの中から「楽しいねー!」

と明るく叫ぶ。

それがおかしくってたまらなく楽しかった。

私は彼女と”友人”なのだろうか。

大人になってからできる友人は、ますます形にこだわらなくなる。

楽しくおしゃべりしてくれる人が増えたという嬉しい事実だけでいい。

 

スイミングスクールではもう一つの偶然があった。

 

まだ娘たちが0歳と2歳の頃から毎月遊びに行っていた近所の寺の朝市で元々は知り合った方で、そこまで親しくはなかったものの多くの時間を過ごしていたMちゃん。

スイミングの待合室で再会し、初めて腰を据えて雑談していたらMちゃんと義妹さんが幼馴染だということが判明。

私たちが今住む家にもよく遊びに来ていたというらしい。

さらに驚くことに、義妹さんと家で遊んでいる時に兄(夫)が「X JAPAN」が好きだというMちゃんに「このアルバムもいいよ」とメタリカのアルバムを貸したということ、その時のメタリカとの出会いがMちゃんのその後、民族音楽奏者となった音楽人生に影響を与えたという壮大な裏ドラマも誕生していたということ。

 

出会い方が違えば、今とは違った関係でいられることもある。

 

身内の昔からの知り合い、だとか幼馴染、とかいうのは最初から親しみ度が8倍ほどは増し、無条件に仲間という感覚だ。

 

今日はもう一つ、アルバイト先で私の知り合いと同僚のつながりがあった。

それもすごくおもしろいエピソードがあって、早く本人に伝えたい。

 

人によっては嫌がるかもしれないけど、きっとこのエピソードの持ち主は大丈夫な気がする。

 

すぐ近くに物語はいくつも存在し、点と点に見える人たちも目線を変えれば線になる繋がりがある。

 


小さな世界も、つまらないわけではない。