2021.9.1

夏休みの自由研究として、長女は日記を書いた。

7/22〜8/31の毎日が、いつの間にか彼女の中で定着した定型文フォーマットの様式で記録されている。

 

一文目は、

“今日は朝から妹とシルバニアをしました”

か、

“今日は朝から妹とリカちゃんをしました”

の2パターンで、締めの文は例外なく

 

“今日も一日楽しかったです”

 

で終わっていた。

お出かけや特別なことがあった日には2ページに渡る長文になることもあったけど、ほとんどの日は淡々と遊んだ日々のことが綴られていた。

 

そしてこの日記は昼ごはんと夜ご飯の内容の記録にもなっていて、この点は私が若干つらい。夜ご飯のチャーハン率の高さにはどうか触れないでいただきたい。

 


それにしても、この夏休みはこんな世の中であってもよく遊んで暮らしたなと思う。

姉妹を年子(2学年差)で授かったことにとても助けられてると感じる日々だった。

 


2人は朝起きてから夜眠りにつく瞬間まで、文字通り絶え間なくずっと遊んだ。

目が覚めた瞬間の言葉は、おはようではなくて「昨日の続きしよう」だった。

 

お腹が空かない限り私をほとんど求めない2人なので、夏休みは私にとっても心地よく至福の時だった。

 

朝から時間に追われることなく、ゆっくりと1日が始まり、買ったまま読めていなかった本を次々と読んだ。

 

目や脳が疲れたらピアノで先生と連弾する予定の曲を練習したり、子ども達と練習している【風の谷のナウシカ】を弾いたり、夫が職場の人から4000円で譲り受けたアコースティックギターの音色が気持ちよくて弾いたり。

 

ピアノ教室が夏休み中は他の生徒も含めて太鼓や木琴で演奏するアンサンブル曲を準備してくれて、そのグループ練習が週に3、4日ほどあり、長女は楽しいらしくすべて行きたいと言うので夕方からはアンサンブルの送迎漬け。

 

そう、私もよく遊んだ。


車で30分範囲の世界どころか、最近はますます生活圏内は狭まってはいるけれど、これといって困ることも退屈することはなく、遊びは尽きない。

 

うちは心地よい。

外は怖い。

2021.8.15

名古屋市民になってから15年ほどが経つのに「ういろう」を食べたことがなかった。

存在は知っていたし、味の想像もなんとなくは分かるから、正確にはきっと一度は食べた経験はあったのだろうが、それがいつだったのかももう忘れてしまっている。

2021年8月15日、今日、私がきちんと記憶する人生の中で”初めて”ういろうを食べた。

お盆のお仏前へのお供え物として娘たちが選んだのがういろうで、冷蔵庫に閉まっていたのを見た時、初めてういろうに対して食欲が生じたのだ。

私のういろうに対してのイメージは、甘すぎるほどに甘い、重たい、ずっしりとしている。

おそらくきっと、私はういろうと羊羹を混同していたのだと思う。

グラスに注いだアイスコーヒーのお供に口に運んだういろうは、そのイメージとはかけ離れていた。

プルプルとした食感でとても軽く、味も甘ったるくない控えめで優しい甘みで、マジックカットになった包装で手も汚さずに食べられてノンストレス。コーヒーにもよく合う。

 

それは、一言で言えば「最高」だった。

味も食感も、頭の中に先入観があったことが良い方向に作用したのもあると思うが、心地よく裏切られた感があって意外性もあって、何より美味しかった。

 

「なにこれ、すごく美味しいね」と塗り絵をする娘たちに声をかけると、娘たちは給食で地元の”名古屋めし”が出る日にういろうを食べたことがあり、その美味しさは当然知っているようで「ね、美味しいよね。」と軽くサラリとあしらわれてしまった。先輩、、、!

 

こういうことが私はよくある。

存在や、それに対するある程度の知識はあっても、本質的にそのものを知る経験がなく、ある日突然その良さに気づいて感動するのだが、周囲の反応は数年、十数年単位で先をいっていて、1人私は置き去られる。

 

クイックルワイパーというものがある。

もちろん、その存在は前々からよく知っているし、これは実際に自分で使っていた記憶もちゃんとある。格好としていかにも「掃除をしている」という形を取れるし、掃除後のシートを見れば真っ黒に汚れていたり埃がたくさん付いていると「掃除をした!」という達成感も得られてとても気持ちのいいものだ。

一人暮らしをしていた頃や新婚の頃はよくクイックルワイパーで掃除をしていた。

しかし、このワイパーは短いスパンで掃除をする、そもそもが綺麗好きな人へ向けた掃除道具であり、一週間に一度ほどのスパンでしか床掃除をしない私には圧倒的に掃除機の方が便利だし楽だという考えに至った。さらに、シートを買い忘れる、ストックがなくなる、ということが続くと一気にクイックルワイパーを使った掃除へのやる気が減退し、そのうちにワイパーは洗濯機の隣の細い隙間に忘れ去られ、いつの間にか使うことがなくなっていった。

 

数年前、我が家にダイソンのコードレス掃除機がやってきたのもクイックルワイパーの存在にトドメを刺した。

コードレス掃除機というものは偉いもので、ワイパーと同じような手軽さで掃除ができるし、目に見えて埃が吸えるし、何よりもシートのように取り替える付属品がないのも良い。

私はすっかりこのコードレス掃除機に夢中で、これがあるから我が家の床掃除は安泰、という安心感までもがあった。

 

けれど、このダイソンの安心感に胡座をかき、長年感じていた現実には目を背けていた。

ダイソン後でもなんか、こう、床がザラザラとするのだった。

私だけが感じていたのではない。家ではほぼ裸足の娘たちも時々、ザラザラする床を感じている素振りをすることがあったから間違いはない。

 

今日、なぜだか私は数年ぶりにクイックルワイパーを手にしていた。

古くなったソファを処分して床の面積が広くなったことや、夏休み中で普段よりも掃除に時間をかけた生活リズムになっていたことや、いろいろな要因があったのだろうが、とても自然に私はクイックルワイパーをしよう、という気持ちになっていた。

 

そして、驚いた。

クイックルワイパーをした床はとても綺麗になり、ツルツルと輝き、見ないふりをしていたザラザラは少しも感じなかった。

 

それは、一言で言えば「最高」だった。

「ねえねえ、クイックルワイパーってすごいんだよ!」と誰かに伝えたいくらい感動した。

テレビコマーシャルでも何代にもわたってその素晴らしさは全国的に知らされているし、今やほとんどの家庭にも普及しているだろうが、私は今日初めて本質的に、この商品の気持ちよさを体感したのだ。

 

そしてそんな今日だからか、私は約1か月ぶりにパソコンを開いてブログを書いている。

このブログの更新頻度こそ、毎日コツコツとすることが苦手で、衝動や感覚で物事を進めたり止めたりする面倒臭い私という人間のバイオリズムそのもののような気がする。

 

物書きになりたい、とも思うけど、こんな甘ったれた衝動でしかパソコンを開けない今の自分には無理だと思う。

ライターとして働いていた時はたった50字のコピーを書くだけで胸が躍ったし、コピーの数が増えれば増えるだけやる気が出た。けれどだんだんと任せてもらえる仕事が増え、1ページ全て、見開きで、しかももうこれ以上膨らまない地方の観光地の見所紹介、などというレイアウトになると一気に憂鬱な気分になっていき、文章を書くことが辛い修行のようなものになることも多々あり、自分はライターには向いていないと落ち込み嘆いていた。

 

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デザイナーから手渡されたレイアウトに並ぶこの四角の羅列が、何も言葉が出てこないままパソコン画面を空虚に眺めている時は呪いに見えた。

今の私だったら、この四角とどう向き合うだろう。

 

書きたくて書きたくてたまらない衝動が、甘ったれたものではなくて、仕事として受けたものだったら、あの頃50字を埋めた勢いで案外見開きページもスラスラと書けるのかもしれない。

 

ライターの職を離れた今でも、書くことがやはり私は好きだ。 

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私は人生に時間がかかりすぎる。

もしかしたら、人の倍以上の時間が必要なのかもしれないとすら思う。

 

この歳になって、もう一度やり直したいことだらけだ。

仕事も、勉強も、人間関係も、趣味も。

 

もっとこうしておけばよかった、という思いも、

あの時にたくさんチャンスやヒントはあったのに!という悔しさも、

全て気づかずにスルーしてしまった私は、もう逃れようもない私で仕方はないのだけれど。

 

例えば自由に身体も心も動けるのが70歳くらいまでだとして、私はその年齢になるまでの人生で今よりも一つ一つ階段を上って高い場所へいくイメージを持っていた。去年よりもできることを増やしたり、新しいことに挑戦したりして、小さなことであっても成長している自分をイメージしていたかった。

 

けれど、自分というものは大して成長なんかしていないという現実も知った。

なんなら、私は14歳の私と大差ないと思わされる出来事がここ最近でいくつかあった。

いわゆる”中二病”?

私は未熟で、それはイタく、かっこ悪いものなの?

 

自問自答するのも束の間、14歳の私は14歳のまま何度もその14年間を旅することが人生なのだと思うようになった。28歳の頃の私も14歳の私と同じだし、次のサイクルが巡る42歳になっても、きっと14歳の私がいたる所に顔を出すだろう。

 

みっともなく幼く、愛しい14歳の私。

私が、私自身を一番嫌いであり好きだった時期だと思う。

 

14歳の私は人生に目標も夢も見つけることはできなかった。

それはしょうがないよ、まだたったの14歳だったじゃない。と今の私が慰める。

人よりも時間をかけて、36歳になった私にはあの頃よりももう少しは世界や自分を見つめることができて、ようやく目標や夢のようなものにも近づいた気がする。

14歳の頃とは、それを叶える道筋も可能性も違ってしまってはいるけれど、ようやく、「看護師になりたい!」「学校の先生になりたい!」と目を輝かせて夢を語っていたあの頃の同級生の気持ちが少しだけ分かるようにもなった。

 

夢を持てなかった14歳の私には、世界は遠すぎて漠然としすぎていた。

大学で学ぶことを選ぶ18歳の私には、夢と現実の境が朧げすぎた。

36歳の今の私は、ようやく自分がやりたいことが見えてきた。

 

時間がかかってしょうがない私の人生を諦め、認める。

そしてそのことに気づいた今から、もう一度やり直していきたいと思っている。

2021.7.18

夜寝る前の長女との会話。

 

〝揺れるのと動くのが怖くなった時、死んだ方がまし、と思うくらい辛くなる。

でも世界はいつかなくなる、と思ったら少しだけ楽になるんだよ。

 


世界がなくなったら自分もいなくなるんだよ?

 


うん、いいの。

それでもいいの。

 

怖くなっても、大丈夫になる方法が分かってきた。

世界はいつか終わるんでしょ?

地球温暖化とかあるんでしょ?

 


そうしたら何も怖くないって思えるんだよ。〟

 

突然の話でびっくりした。

世界が終わる?地球温暖化

小学3年生。ワードが急に大人びてきたし、強い。

 


そして、それは長女が自分で見つけた恐怖から逃れる方法なのかもしれないけど、それはあまりに悲しいのではないかと思ってしまう。

 


世界が終わることを想像して心が楽になるだなんて、それはどれほどの感情なのかやっぱり想像が難しい。

 


久しぶりにネットで調べてみると、数年前に調べた時よりも、新しい記事がいくつか見つかった。

そこには「揺れ恐怖症」という名前も付けられていて、症状などは長女のものと酷似していて私は確信した。


長女は「揺れ恐怖症」だ。

数多くある恐怖症の中ではケースとしては稀なものみたいだけど、少なくとも長女だけのものではなく同じ感覚の人はいるということは分かった。

 


ネットで見つけた当事者たちの記録を読むと、成長と共に徐々になくなった人もいれば、今でもふいに恐怖を抱くという人もいた。

ブランコを視界から消して生きてきたけど、自分が親になり子どもが公園に行く機会が増えてブランコを再び目にすることを想像するだけで恐怖だという人もいた。


この感覚を、長女はこの先の人生ずっと持ち続けるかもしれない。

それは、もしかしたら苦しいことなのかもしれない。

 


先日、トワイライトに迎えに行った時、一人で廊下で長女が固まっていた。

廊下側の壁に展示物が吊って飾られていて、それが換気のために開けた窓からの風でパタパタと揺れていた。

 


いつからそうしていたのか分からないけど、石のように固まってじっと展示物を見つめる長女の目は「止まれ!」と必死に念力を送っているようにも感じた。

 


「ただいま」と言い後ろから抱きしめた私に振り向きもせず、長女は静かに歩き出し、緊張した顔で窓を閉めた。

 

長女が幼い頃から不思議だった謎の発作に、「揺れ恐怖症」と名前があるということは確信になってきた。

2021.6.29

いつも「どうしてるかな?」と気にかけている人がいる。

通るたびに、その道をずっと進んだ先にある家に住む気になる人がいる。

気になる人の家の前を通るたびに、車があるかなと一瞬でチェックしてしまう。

それは全て家から車で30分以内の世界。

その気になればすぐに会いに行ける距離に住む人たち。

 

本棚の中に友人から借りたままの本がある。

返しに行かなきゃ。でも返すのと同時に貸してほしいと言われている本を渡したい。

でもその本がなかなか見つからない。

アドルフに告ぐ」の3巻がもう4年も見つからない。

 

宙ぶらりんのまま、その関係をずっと先延ばしにしてしまうのは私の悪い癖。

自分でもいやになる。

逆に、人から宙ぶらりんにされたらひどく落ち込むことは分かっているのに。よくない。

 

今日は予定を立てる一日だった。

繰り返しのルーティーンも好きじゃないけど、イレギュラーな予定をパズルみたいに組み立てるのも苦手だ。

めくったばかりの7月のカレンダーもあれやこれやと予定が詰まってきた。

小学生の懇談会期間を私は間違うことなく無事に終えることができるか不安だ。

その他の用事も、楽しみだけどどれも不安が伴う。

大丈夫、きっと当日を迎えればきっと楽しいはず。

2021.6.21

今日の髪型はキラピチ6月号を参考にずっと指名されていた三つ編みカチューシャ。

この前買ってあげた大きめのヘアピンがちょうど映える髪型。

 


朝食をあげながら長女から順番にヘアセット。娘たちは前髪が長いから私の提案でキラピチモデルが提案するのとは変えて、長女は三つ編みではなく編み込みにしてみる。

が、なかなかうまくいかない。3回やり直してようやくうまくいき、仕上げのヘアピンをつけようとするが編み込みが太すぎてピンが浮いてしまう。


焦る私に、

「昨日、一回やっておいたらよかったね」

と長女が冷静に大人っぽく言う。

ヘアピンの具合を一人であれこれ試してるけどなかなかうまくいかない。


とりあえず次女の髪にとりかかる。

「私は三つ編みにしてね。三つ編みカチューシャ」

次女は状況判断がうまい。

こちらは一回でうまくいった。

 


慌ただしく集合場所へ行くと次女が上靴、体操服、給食エプロン一式が入った手提げを持っていないことに気づく。慌てて家まで走り、息切れしながら届ける。間抜け。


集合場所で待っててくれた近所のお母さんと家までの帰り道の会話の中で今日の授業参観は川の北側南側で参観時間が分かれていることを聞く。

危ない。子どもたちに間違った時間を伝えてしまった。またまた間抜け。

 


長女は一年半ぶりの、次女は初めての授業参観。

教室に向かう途中の土間で次女の絵を発見。

運動会の玉入れの時の絵で、真ん中に次女と思われる子が大きく描かれていて後ろにひょっこりと2人の女の子が覗いている絵で、とてもよく描かれている。サイコウ!


一年生の教室を覗けば、お友だちと首をくすぐり合って走り回る次女の姿。授業前の挨拶からピシッと背筋を伸ばして張り切っている。

よく頑張ってる。


参観時間が40分しかないので、慌てて三年生の長女の教室へ移動。

道徳の授業で机をくっつけてグループで話し合っている。隣の子と楽しそうに笑っているなと見ていると私と目が合い、目配せする。私は手を振るが振り返してはくれない。三年生はそんなお年頃。


授業参観も終わり、久しぶりに夫とふたりだけの時間を持てたのでランチに出かける。

普段は人気で行列ができているカウンターだけの豚骨ラーメン屋に行ってみる。

カウンターに座ると若い男の子がニコニコしながらこちらを見ている。

「こんにちは!」と爽やかに挨拶をする姿に一瞬分からなかったけど職場の社員の男の子だった。

22歳の新入社員で張り切って仕事を頑張ってる彼と私は特に話はしたことはなかったが、休日のラーメン屋のカウンターで会ったパートタイマー主婦にニコニコと挨拶してくれる彼はとてもいい子に違いない。

隣に座る夫にも笑顔で「お世話になってます」と頭を下げている。

ほんとにいい子。

そしていつも制服姿しか知らなかったから気づかなかったけど、彼は松本大洋の漫画のキャラクターによく似てる。

 

 


夜、豆電球の灯りがないと寝られない二人だけれど、今晩は月が明るいから部屋を真っ暗にして月明かりで眠った。

網戸からは気持ちよよい風が吹いていた。いい季節。

2021.6.20

珍しくサチが朝ご飯になっても出てこなかった。一部屋ずつ声をかけてもいない。「お隣の庭にいるぞ!」と夫が叫んで慌ただしく仕事に出かけた。

寝起きの私がゆっくりと近くに寄り腕を伸ばすと簡単に捕獲できた。プチ脱走は何度かあったけど、まるまる一夜を外で過ごしたのは初めての経験だった。

9歳のサチ、生まれて初めての夜通しの大冒険。

 


今日は父が畑のジャガイモを持ってきてくれる日。ちょうど〝父の日〟なので、昼ごはんをごちそうしようと思い、食べたいものをリクエストしたら「カツカレーかカツ丼」という予想外な返答。

 


体力がなくなったとか、仕事をやめたとか歳を感じることが多かったけど食欲旺盛なリクエストで驚いた。

 


かぼちゃとサツマイモの甘いカレーを朝から作って待つ。

 


娘たちは平日よりも早い6時半に起きて、ずっとシルバニアで遊んでて楽しそう。

朝食の後に最近観始めている「半分、青い」を3人で観る。

今日の回で小学3年生だった鈴愛ちゃんがいきなり高校3年生になった。

熱心にドラマの世界に浸る。

 


久しぶりに会う父はさらにおじいちゃんになっていた。歩くスピードが前回よりもゆっくりしている。

カツカレーを下を向いたまま黙々と一言も喋らずに食べて、おかわりもした。

食べ終わりようやく「ごちそうさま」と言って笑って、次女が「じいちゃんが笑った」と言った。

「ずっと笑いながら食べてたつもりだったよ」と父は言って、

「今初めて笑ったよ」と娘たちが言った。

歳をとり、老け込む父の姿に娘の私は切なくなるけど、娘たちの方が老いや変化を柔軟に受け止めているような気がする。

 


食後のコーヒーを飲みながら、父と母は自分たちが亡くなった後の法事を頼む寺のこととかお墓の話を私に話した。墓を建てずに地元で合同葬にするらしい。近所の◯◯さんも◉◉さんも一緒よと母は笑って言った。

 


本来なら入るはずだった父方の墓は博多の生家からもだいぶ遠い不便な場所にあって、私たちや孫たちのことを考えての合同葬という形だけれど、やはりこういう話は胸が締め付けられる。

 


夕方には長姉家族が父の日のお祝いをしに来てくれるから、とふたりは帰って行った。

 

ふたりを見送ると、娘たちは一目散に二階に駆け上がり、楽しそうにシルバニアの続きを始めた。

2021.6.15

東京に住む大好きな友人からとても嬉しい報告があった。

 


その嬉しい報告はもちろんのこと、彼女が幸せな時に私たちを思い出し、連絡をくれたことがすごく嬉しい。

彼女の幸せは心から自分のことのように嬉しい。


出会った時から彼女の言葉や感性が好きで、勝手ながらお互いの人生を並走している感覚で生きている。


今、どうしてるかな?と思い急に連絡をしてみたり、夕飯の写真を数ヶ月毎晩送りつけたり、曲ができると嬉しくて鼻歌レベルのひどい状態でも送りつけたり。ああ、言葉にするとなんて身勝手な振る舞い!


こんなにも恥ずかしげもなく自分の衝動を素直に晒せるのは、彼女との距離感だったり安心感が〝心地よい〟からだと思う。


住んでいる家も旦那さんのことも彼女の日常もほとんど何も知らないけど、彼女が幸せに笑って生きていてくれたらそれだけでいいと思える人だ。

 

私の突拍子もない連絡にいつだって彼女は優しく応えてくれて、励ましてくれる。衝動を単なる発作としてではなく、意味のあるものに変えてくれる彼女の懐の深さがあるからこそ、私は安心して自分の衝動に向き合える気がする。

私はいつだって褒めてもらいたいし、見つけてもらいたい。

小心者だから、表現する相手は少ない方がありがたいのだ。

 

 

 

「石田家の家族みんなが等身大の冒険を楽しんでいる感じが好き」


だと彼女が言ってくれた。

「等身大の冒険」という言葉に驚きつつもそんな彼女の言葉センスが嬉しかった。


いつのまにか大人のふりして頑張った姿を見せてしまうのが癖になっていたけれど、彼女に映る私は大きく見せずにいられていたのだろうか。

ちゃんと自分を見てくれている人がいるんだというのはとても嬉しい。


この毎日を「冒険」と捉えるとワクワク感が出てくる気がする。