2021.7.18
夜寝る前の長女との会話。
〝揺れるのと動くのが怖くなった時、死んだ方がまし、と思うくらい辛くなる。
でも世界はいつかなくなる、と思ったら少しだけ楽になるんだよ。
世界がなくなったら自分もいなくなるんだよ?
うん、いいの。
それでもいいの。
怖くなっても、大丈夫になる方法が分かってきた。
世界はいつか終わるんでしょ?
地球温暖化とかあるんでしょ?
そうしたら何も怖くないって思えるんだよ。〟
突然の話でびっくりした。
世界が終わる?地球温暖化?
小学3年生。ワードが急に大人びてきたし、強い。
そして、それは長女が自分で見つけた恐怖から逃れる方法なのかもしれないけど、それはあまりに悲しいのではないかと思ってしまう。
世界が終わることを想像して心が楽になるだなんて、それはどれほどの感情なのかやっぱり想像が難しい。
久しぶりにネットで調べてみると、数年前に調べた時よりも、新しい記事がいくつか見つかった。
そこには「揺れ恐怖症」という名前も付けられていて、症状などは長女のものと酷似していて私は確信した。
長女は「揺れ恐怖症」だ。
数多くある恐怖症の中ではケースとしては稀なものみたいだけど、少なくとも長女だけのものではなく同じ感覚の人はいるということは分かった。
ネットで見つけた当事者たちの記録を読むと、成長と共に徐々になくなった人もいれば、今でもふいに恐怖を抱くという人もいた。
ブランコを視界から消して生きてきたけど、自分が親になり子どもが公園に行く機会が増えてブランコを再び目にすることを想像するだけで恐怖だという人もいた。
この感覚を、長女はこの先の人生ずっと持ち続けるかもしれない。
それは、もしかしたら苦しいことなのかもしれない。
先日、トワイライトに迎えに行った時、一人で廊下で長女が固まっていた。
廊下側の壁に展示物が吊って飾られていて、それが換気のために開けた窓からの風でパタパタと揺れていた。
いつからそうしていたのか分からないけど、石のように固まってじっと展示物を見つめる長女の目は「止まれ!」と必死に念力を送っているようにも感じた。
「ただいま」と言い後ろから抱きしめた私に振り向きもせず、長女は静かに歩き出し、緊張した顔で窓を閉めた。
長女が幼い頃から不思議だった謎の発作に、「揺れ恐怖症」と名前があるということは確信になってきた。