2021.6.15

東京に住む大好きな友人からとても嬉しい報告があった。

 


その嬉しい報告はもちろんのこと、彼女が幸せな時に私たちを思い出し、連絡をくれたことがすごく嬉しい。

彼女の幸せは心から自分のことのように嬉しい。


出会った時から彼女の言葉や感性が好きで、勝手ながらお互いの人生を並走している感覚で生きている。


今、どうしてるかな?と思い急に連絡をしてみたり、夕飯の写真を数ヶ月毎晩送りつけたり、曲ができると嬉しくて鼻歌レベルのひどい状態でも送りつけたり。ああ、言葉にするとなんて身勝手な振る舞い!


こんなにも恥ずかしげもなく自分の衝動を素直に晒せるのは、彼女との距離感だったり安心感が〝心地よい〟からだと思う。


住んでいる家も旦那さんのことも彼女の日常もほとんど何も知らないけど、彼女が幸せに笑って生きていてくれたらそれだけでいいと思える人だ。

 

私の突拍子もない連絡にいつだって彼女は優しく応えてくれて、励ましてくれる。衝動を単なる発作としてではなく、意味のあるものに変えてくれる彼女の懐の深さがあるからこそ、私は安心して自分の衝動に向き合える気がする。

私はいつだって褒めてもらいたいし、見つけてもらいたい。

小心者だから、表現する相手は少ない方がありがたいのだ。

 

 

 

「石田家の家族みんなが等身大の冒険を楽しんでいる感じが好き」


だと彼女が言ってくれた。

「等身大の冒険」という言葉に驚きつつもそんな彼女の言葉センスが嬉しかった。


いつのまにか大人のふりして頑張った姿を見せてしまうのが癖になっていたけれど、彼女に映る私は大きく見せずにいられていたのだろうか。

ちゃんと自分を見てくれている人がいるんだというのはとても嬉しい。


この毎日を「冒険」と捉えるとワクワク感が出てくる気がする。