2020.8.5
幼稚園は夏休みに入ったが、暑さとコロナの状況でどこにも出かけられない私たちは園庭開放してくれている幼稚園に毎日のように通っている。
スタッフはいないので、自主的に来る家庭でプール掃除から準備、片付けまでを行うので例年は面倒くさがりほとんど来たことのなかった夏休みの園庭開放。今年はこの場所のありがたみが身にしみる。
通い出すと思ったよりも同志は多くはなく、自然と決まった気の合うメンバーがゆるりと集う居心地の良い空間となり、朝の10時からお弁当を挟んで15時過ぎまで飽きることなくプールや園庭で遊ぶ子供達を母たちがおしゃべりをしながら見守るという天国のような日々だった。
さやちゃん、きよみちゃん、ともよちゃん、スーさん。
みんなは私をまりこ、だとかマリちゃん、だとか呼ぶ。
母になってからこうやって「ちゃん」付けで呼びあったりリラックスした関係が築けるとは、いつまでも気持ちだけは若いまま。ママ友、というよりも彼女たちの存在を友人と私は思っている。
今日はインド人の友人のレヴァちゃんの病院に朝から付き添うため、子供達を友人たちに預けさせてもらった。
ただのママ友ではない温かみを感じる。ありがたい。
レヴァちゃんは妊活をしていて、生理がきたら3日目に病院に行き、次の排卵日を確定するための薬をもらったり注射をしたりする。
不妊治療で有名だという病院は丘の上の高級住宅街にあり、付き添いとはいえ軽自動車にビーチサンダル姿できてしまったことは場違いなような気がする。
今日で3度目の付き添い。
生理が来た時の通院はレヴァちゃん本人も悲しい気持ちであるしとてもナーバスになっている。
前回もかなり精神的に参っていて、医師に「私が妊娠する確率は何%ですか?」「この治療を続ける有効性は?」「子宮に問題がないのならば卵管も診てください!」
とかなり詰め寄り医師を困らせていた。しかもこれらの質問を私の頼りない英語(google翻訳片手に)でせねばならないため、切実なレヴァちゃんの表情と初老の優しそうな医師の表情の板挟みになりながらしどろもどろ必死に伝える。
少し困り顔な医師は私の顔を静かに見て「今後も付き添い宜しくお願いしますね」と頭を下げられてしまった。
診察後、レヴァちゃんは病院のホームページからネット予約について調べていて、掲載されているさっき診察をしてくれた医師の顔を見て「He’s not handsome」と言って少し口を曲げて笑った。
やさぐれている時のレヴァちゃんはブラックレヴァちゃんに変わる。
そんなレヴァちゃんも嫌いではないけれど。
昼ごはんは家でスリーさん(旦那さん)と食べるからということでレヴァちゃんの家まで送って別れ、私は子供達を預かってもらっている幼稚園へ急いで向かった。
到着するとちょうどお弁当タイムでゆっくりしており、長女は1学年上の子と一緒に将棋をして、次女は再び水着に着替えようとしていた。
そんな平和な光景を目の前に、私はついさっきまでいた世界から離れられないままでいた。
不妊治療の病院の雰囲気や医師の表情、レヴァちゃんの今の状況。
どれもなんだかモヤがかかったようにうまくいかなくて、自分の役不足も感じていた。
今頃、部屋で1人でカレーを作るレヴァちゃんのことを考えていた。
異国の地で友人もいなく、仕事もない。
自転車も不慣れなので歩いて遠くまで買い物に行き、一日三食カレーを作って旦那さんの帰りを待つが激務で帰宅はいつも深夜過ぎ。
子どもを望むが6年ほどしても自然妊娠ができない。
不妊治療は高額。気分転換したいがコロナの状況で外出もままならない。
旦那さんの仕事も来年の3月以降は未定。日本にいるかも、インドにいるかも、世界のどこにいるかも未定なのだそう。
ここに連れてこればよかった。
昼ごはんのカレー作りが終わるのを待って、この今の平和な光景を見せてあげたらよかった。
子供たちは頼りになる友人たちに任せて、レヴァちゃんの側にいてあげたらよかった。
こんなに困っている友人がすぐ近くにいるのに、私はまた選択をたくさん間違えてしまっている。