2020.5.6
楽天で頼んでいたメリーポピンズのDVDが届いていたので、仕事が休みだったので夫も一緒に4人で観た。
昔からメリーポピンズの話が私は大好きだった。
初めて観た時の年などは覚えていないけど、実家の裏がレンタルビデオ屋で確か1本50円でビデオがレンタルできて、私は一人でそこに行ってアニメビデオを借りて観るのが小学生の頃から好きだったのは覚えている。
ディズニー映画はほとんどそこで借りて観た。
あとは「笑ゥせぇるすまん」もよく借りてた。
そのどこかの過程できっとメリーポピンズにも出会ったのだと思う。
大学時代に自分の映画好きが高じて「映画記録」を個人的に豆本にして作っていたのだが、そこでもメリーポピンズももちろん紹介していて、「おそらく私が一番何度も観ている映画」と豪語していた。
その言葉に間違いがないのなら、それくらい私はこの映画を観ていたということだ。
深夜、家族が寝静まってから部屋を真っ暗にしてイヤホンをつけて映画を観るのが好きだった。
だからか、私の記憶の中のメリーポピンズは暗闇から登場する楽しいけど少し影のある女性だ。
普段テレビを観ない生活の2人の娘は、「今日はこれを観よっか」という私の提案にドキドキとした表情。
新作もあるらしいのだが、やはりオリジナル版に限る。
冒頭から懐かしさが込み上げてきてたまらない。
しかし始まってから数分、数十分経ってから「おや?」と思い始めた。
こんなに難しい世界を描いていたのか。と。
この内容を子供の時分によく何回も観ていたなあと思うくらい、設定が大人向けであるし、ファンタジーがただのファンタジーだけでは済まされない世界がそこにあった。
でもやはりあの時、幼ない自分が胸をときめかせたりワクワクした世界もちゃんとあって、最後までノンストップでメリーポピンズの世界を堪能した。
2時間以上もある大作だったのだが、子供達は根を上げることなく見終わっていた。
疲れてはいたようだったが、「指をパチンとするんだよね〜」とか「煙突の上で踊るのすごかったねえ!」とか映画の世界のことを話しているのを見ると私が好きなものを一緒に観られるようになってよかったなあと感慨深くなる。
でも同時に、これは私のエゴなのかとも思う。
私が好きだったものを見せる。与える。
気に入らないものは与えない。
子どもの思考も嗜好も自分の好みに仕立てているようにも思う。
これが行きすぎていけば、子どもたちの将来までもを私が導いてしまうのではないかという恐れもある。
私は昔から本が好きで、実家から一冊も捨てずに全て持ってお嫁に来ているのだが、それも自分が読み返すためだけではない。
いつか子どもたちが読むかもしれない。読んでほしい。という願望があるからだ。
同じ本を読んで、自分と同じような感性になってもらいたいのか。
子どもたちは自分たちとは別人格なのだから、親に左右されずに自分たちの道を歩いてほしいだなんて大層なことをよく話しているのに、まだ自分の中にこんな思いがあるということにギョッとする。
子どもに対しても、私は自分を認めてほしいという思いを押し付けてしまっているのだろうか。
でもここは、同じ本を読み同じ映画を観ても、私とは違うそれぞれの感性を育む力が2人にはあるという未来を信じたいと思う。