2020.3.13

今日は幼稚園で来年度から始まる給食当番の最初の仕事。調味料などをお得意先の小売店まで調達しに行く。今日は10パーセントオフのセール期間中なのだ。

長女は担任の先生が午前中に家庭訪問の予定があるためおばあちゃんとお留守番。

先生は健康状態の確認と、春休み後半の宿題プリントを持ってやって来てくれるらしい。

先生方は本当に大変だと思うが、娘はとても嬉しそう。

 

売店へは私を含めてあと2人も同行してくれ、醤油、みりん、酒、地粉、ホットケーキミックス、干し椎茸、昆布、ベーキングパウダーなどを大量に購入。

先方との挨拶も済ませ、いよいよ始まる来年度に少し身が引き締まる思い。

 

買い物後は車を出してくれた方の家へ寄ってお弁当を食べながら談笑。

今まであまりゆっくり話したことのない方だったけど、休校中の小学校6年生のお姉ちゃんも大人に混じって色々おしゃべりできてよかった。

 

降園後この3日間は連続でグラウンドで残って遊ぶのが日課になっていたけれど、今日はおばあちゃんと長女が待っているから帰ろうね、と言ったものの聞かない次女。

給食室へ買った物を収納するまで、という約束で友人にお願いしてグラウンドで遊ばせてもらう。仕事を終えてグラウンドに向かうと、半袖半ズボンで満面の笑みで駆けてきた。「転んじゃった」と見てみればズボンもパンツもシャツも泥だらけだった。

 

着替えてみんなにバイバイを言い、家に帰ると誰もいない。鍵もかかっている。

おばあちゃんたち、どこか出かけちゃってるね。

と私はすぐに勝手な動きをする義母に少し苛立ちも感じながらどうしたものかと考えていた。

義母が子供達を連れて行くのはお墓か公園だろう。

公園は近くに2か所ある。どちらだろう。なんとなく墓のような気がする。(私も最近行けてないという後ろめたさもあった)

次女は公園に行ってみる?と私に落ち着いた様子で言う。

公園に行ってもいなかったらそこから墓、次の公園へ移動するには距離がある。

私は車で行く?と近所ながら面倒くささから提案したが、次女は自転車で行くという。

「お墓と公園どっちだろう?」とまだ行き先を決めかねた私の問いに「公園」と潔く言うので、とりあえず向かう。分かれ道で再び「A公園とB公園どっちだろう?」と聞く私に「A公園」と短く力強く答える。

A公園が見えてきた。遊具エリアにはいない。と思ったら奥の方の茂みの中に義母と長女の姿が見えた。「すごいねえ!公園で当たりだったねえ!」と驚いて次女に話すと、「新聞やハサミがなかったからお墓じゃないと思ったよ」と言った。お墓に行くときはいつも庭に咲く花で花束を作って新聞紙でまとめて持っていくのが習慣だった。

5歳児の目の付け所の冷静さに脱帽だ。

 

公園で2人に合流すると、今から近所のHさん家でキンカンを収穫させてもらう約束になっているとのこと。次女も義母に託して私は買い物と家事をしに家に帰った。

 

夕飯はアジフライ、ルッコラサラダ、レンコンの甘酢ステーキ、青梗菜と桜えびの炒め物、もずく酢。

 

ルッコラは友人が最近始めた無農薬野菜卸しのお店から購入したもので、とてもワイルドで丁寧な味がする。主人や私は一口食べて感動したものの、子供には苦味もあるので少し食べにくく、長女は口に含んですぐに眉間にしわを寄せてご飯をかきこんだ。

そこまでして苦手なものを食べなくても、とも思うが身体に良いものを食べて欲しいという気持ちもある。次女は明らかにルッコラの存在に気付きならも全く箸をつけない。

アジフライ→レンコン、という味付けの濃いものを延々と食べるため、「サラダも食べなさい」と口を挟む。が、無視をする。イラっとしたものの、しばらく様子を見ることにしたが一向に野菜を食べない。白米も食べない。「や・さ・い」明らかにイラつきを含ませた私の声に次女が体をクネらせながら反抗的な目で睨む。その睨み方がイッチョマエすぎて思わず笑ってしまったが、視線を送って食べるように促す。隣で食べる長女も「アジフライと一緒に食べたら?」とフォローを入れてくれる。

しかしもう意地になった次女の頑なさは変わらず顔をしかめ大泣きへ転じ、私を睨みつけたまま獣のように唸り、夕飯は中断。長女も泣き続ける妹の声に不安になってしまい泣き出し、地獄絵図のようになってしまった。

私も一週間の疲れがどっと出て「もう!なんなの!!」と叫び、主が静かに困った顔で首を横に振る。

一気に何もかもが嫌になった。

次女の頑なさも、長女の繊細さも長所でもあり短所でもある。それをそのまま丸ごと全てを受け止めるなんて、そんな余裕はまるでなかった。

泣き続ける長女を抱え「もう嫌。何でちょっと注意されただけでそんなになるの!おかしいでしょ!」と次女に追い討ちをかける責める言葉しか出てこない。ここで私の苛立ちを感情的にぶつけたところで何も良い方向へ進まないと、頭では分かっているが止められない。

主が泣き続ける次女を抱えて2階へ連れて行く。

 

次女がいなくなり部屋は静かになったが、私の苛立ちは収まらなかった。

長女にもキツイ口調で「もういらないなら無理して食べなくていいよ」と言ってしまう。

それにしてもまた長女の不安の症状が出る頻度が高くなっている気がして引っかかる。

「なんで自分は怒られてないのにそんなに泣くの?」

「誰かが泣いている声を聞くと怖くなるんだもん。ちょっとならいいけどずっと続くと思い出しちゃう。」

「何を思い出しちゃうの?」

「怖いこと」

「揺れるものや転がるもの?」

「そう。」と言ってまた泣き出す。

 

これは、やはりカウンセリングが必要なのではないかと思い始める。

先週も友達のいる前でも同じようなパニックになった。

 

「学校でも怖くなることある?」

「ある」

「そういう時は我慢してるの?」

「うん。怖くなるときもあるけど、さっきみたいにずっと泣いたりする子はいないから我慢できてる。」

 

7歳になり、自分の中のことをだいぶ言葉で話してくれるようになった。

私にはない性質ではあるけど、長女は確かに恐怖を感じているのだ。

 

「みんなと違うから嫌だ。みんなみたいに一緒にブランコで遊べたらもっと楽しいのに。」

「大丈夫。みんなとは違うけど、それも含めてあなただから。苦手なことはみんなあるから。みんなとは違うところもあるけど、そのままで大丈夫だから安心して」

 

そう言うと大人みたいに静かに笑った。

 

2階から少し落ち着いた次女と主人が降りてきた。

食卓の椅子に座ると同時に

「1枚だけレンコンと一緒に葉っぱ食べたら?」

と主がもう一度言う。私はもう食べさせることはすっかり諦めていたので主の根気強さに驚いた。最大限にグズって収拾つかなくなっている5歳児にこんなに向き合うパワーは相当だ。

 

次女は諦めたかのようにレンコンをルッコラくるりと包んで食べ、驚くことにそれ以外の野菜もおかずもご飯も全て平らげ、「ごちそうさまでした」とお皿をいつものように運んだ。

 

いつもこの切り替えの早さに拍子抜けになりながらもどっと疲れる。

手も洗い、スキップなんてする次女に呆れながらも両手を広げて抱きしめた。仲直りをしようと思ったのだ。しかし次女は何も言わない。抱きしめられたまま、無言を貫く。

「何か言うことは?」また口うるさい一言を私が挟むと「ない」と言って体をクネらせ逃げようとする。

「あるでしょ!」

「ごめんね」と目をそらせて小さな声で言った。

プライド高き5歳児なのだ。疲れた。

 

そう言えば今日の幼稚園のお迎えに向かう途中、お姉ちゃんのRちゃんがお笑いが大好きだという話になり、昨日出来上がったばかりの夫出演の「ゴーン、怒りの脱出」動画URLを送っていたのだが、帰宅後に「感動した!」「弟子入りしたい!」と熱烈なメールを送ってくれて、Rちゃんのプロモーションビデオまで添付してくれたので、みんなで見ることにした。

 

これがものすごかった。

ミュージカル出演経験もあるとは聞いていたけれど、抜群の声量に加えて顔芸、身体パフォーマンス、そしてなぜか流暢な英語の歌。

すでに全てが完成されていて、娘2人も呆気にとられて笑うまでにも時差があるくらいだった。小6にしてあの肝の座り方、彼女は大物になるかもしれない。

 

Rちゃんの歌声に触発されたのか、次女が自分の歌も送ってと言う。

たくさんあるデータフォルダに残る次女のオリジナルソングの中から適当に短くよく撮れたものを送るとご満悦な表情を浮かべる。

 

お風呂に入ってからも歌のスイッチが入ったようで次から次へと歌い続ける。

 

たのしいことも くるしいことも おなじだけあるよ

そんな じぶんを みていたら

あたまのなかが うえきばち

 

スラスラとオリジナルの歌詞が小さな口から溢れ出てくる。

私が先にお風呂を上がってからもお風呂リサイタルは続き、さっきまで大泣きしていたのは誰よ、と呆れて主と目を合わせて苦笑いする。

 

子供は宇宙だ。