2021.1.30

年末から引きずっていた感情は無事に岸までたどり着いたけれど、まだ弱い波に寄せては返され揺らいでいた。

今までは子供達が寝静まってからの夫婦二人の時間は、自然とあったかい飲み物やおやつを出して今日一日のことを話すことが多かったけれど、私が意識して話すことをやめればその習慣は一瞬で消えて、静かにお互いの時間を平行線で過ごすだけの時間になった。

飲み物を出すのも、話を切り出すのも私で、それを止めたところで不自然さを感じているのも私だけで、夫は飲み物や会話がなくなっていることに気づいているのかも分からないほどのいつも通りの空気をまとって一人、作業に没頭している。

 

ああ、と思い目を瞑る。

夫に近づきたいけれど、発する言葉も些細な行動ひとつも刺々しいものでしか表すことができない。

自分を落ち着かせるように読みかけの本を読む。

あまり集中できずギターを触る。

あまり集中できずスマホをいじる。

「もう寝るね」

「うん、おやすみー」

 

正月早々、私は夫にひどい言葉を言った。

「ただ作り続けるだけで作品を大切にしていない。たくさん作っても外に出さなきゃ誰にも見てもらえないのに。私はずっと応援してきたつもりだけどどこに向かって進んでいるのか分からなくてどういうバランスでやっていったらいいか分からなくてつらい。でも美術で食べていこう、生活していきたいっていうのじゃないもんね。作品をただ作り続けたいだけだったら結婚しなくてよかったじゃん。今みたいに外で仕事してきて疲れて、夜の少しの時間だけしか作品作る時間はなくて、参加できるイベントもチャンスも減って。作り続けるだけ、死ぬまでにいい作品ができたらいいな、っていうのも私にはよく分からない。そんなことを今のペースでやっていったらいつまでかかるの?」

 

家族を持ってから明らかに彼の活動は減っていて、友達は減って、携帯のゲームやNetflixの時間は増えて、体重は増えて、頼んでいることはいつまで経ってもやってくれなくて、話す言葉はどんどんつまらなくなって、お互いの影が薄まって、ただ老い、死に向かっているような気持ちになっていた。

 

別れた方がいいんじゃないかと思った。

私は夫を良い方向へ導くことができていない。

夫は悪くはない。彼は何も変わっていない。

もちろん育児には協力してくれているけれど、私たち夫婦のバランスがどうしたってうまくいっていないという思いが拭いきれない。

 

そんな会話までしたのに、夫は言葉少ないまま眠る私に優しく「おやすみー」と声をかける。

私の心は怪我をしたまま柔らかなガーゼで包まれた状態。

 

夫には作品という自分の表現があるけれど、私には何もない。

夫の世界はすごく優しくて、純粋で、私はその世界がすごく好きで今でも包まれているような安心感があるけれど、その安心感の中で私のいろんな感情は淡く、まあるくなり溶けていく。

このままでは二人とも溶けてなくなってしまいそうな、いや、最初から全てが夢で何もなかったのかもしれない。

 

そのどうしようもない感情が抱えきれなくて、でも忘れたくなくて、私は歌を作り始めたのかもしれない。

 

今をとどめていたい。