2020.9.8
ゆいちゃんのことを思い出していた。
幼稚園の時から仲良しで、私たちはいつも2人で遊んでいた。
ゆいちゃんはいつだって優しく笑うかわいい女の子だった。
ハムスターやモモンガが大好きで、ゆいちゃんの家に何度も遊びに行って2人でハムスターを愛でていた。
「ハムちゃんハムちゃん」と、ハムスターを食べそうなくらいに溺愛するゆいちゃん。
アレルギー体質のせいで周りのみんなが食べているチョコレートが食べられない時も、凛とした顔でジッと耐えていたゆいちゃん。
小柄でアトピー肌で少し弱々しくも見えるけど、強い意志を持っていた。
小学校を上がってもゆいちゃんは私の隣にいつもいた。
けれど、次第にゆいちゃんが私以外に友達を作らず、依存してくることを私は疎ましく思い始めてしまっていた。
幼い私はゆいちゃんとの約束をわざと守らなかったり、嘘をついたり、避けたり、ひどい時には表情にもゆいちゃんへのうんざりとした気持ちを露わにした。
「ゆいちゃん、気づいて」「私を解放して」
そんな気持ちだった。
ゆいちゃんはすぐに私の異変に気がついていた。
けれども相変わらず私を信頼しきって忠犬のようについて回ってきて、その度に私は悪態をついてゆいちゃんから逃げようとしていた。
ある日、ついにゆいちゃんが悲しい目をしてこう言った。
「まりちゃん、なんだか私の知らない人みたい。」
私の気持ちに気づいて欲しいと願っていたはずなのに、なぜかその言葉に私はショックを受けてしまって、この時のことを今でも忘れられない。
図星を見抜かれた人生初めての経験だったのだと思う。
それからゆいちゃんは私から離れていき、廊下ですれ違えば静かに笑い合う、そんな関係に薄まっていた。
高学年になり、クラスも離れてゆいちゃんの家のハムスターが今何匹いるのかも分からなくなっていた頃、突然ゆいちゃんから「一緒に陸上部に入ろう」と誘われた。
走ることは嫌いではなかったが、すでに水泳部にも所属していたので陸上部の入部には乗り気ではなかった。
けれどゆいちゃんが久しぶりに私を視界に入れてくれたことを喜んだ私は一緒に入部することにした。(当時好きだった男の子が所属していたことも理由の一つ。)
陸上部の練習はとてもハードで、根性なしの私はすぐに辞めたいと思った。
けれどゆいちゃんはいつも弱音を吐かずに歯を食いしばってそのツライ練習にひたむきに打ち込み、タイムもどんどんと縮めていく。
そんな姿を見ていると、私は誘ってくれたゆいちゃんを置いて辞められまいと練習に励んだ。
ゆいちゃんのストイックさは群を抜いていた。
「腕を振れ!」とコーチが指示をすれば脇が摩擦で真っ赤になるまで腕を振り続けた。乾燥した関節が赤切れみたいに擦り剥け、血が滲んでいた。
アトピーだから汗をあまりかかないようにというお母さんからの言いつけを守り、体育を見学していた時期もあるほど汗に弱い肌なのに、額から大粒の汗を拭う暇もなく練習を続けていた。
その頃、ゆいちゃんは自力で瞼を二重瞼にした。
「朝起きたらなってた」と言っていたけれど、毎晩セロハンテープを貼り付けて二重瞼にしたということを後になってゆいちゃんのお母さんから聞いた時、ストイックでど根性のあるゆいちゃんらしいとその時も私は感心したものだ。
中学生になりゆいちゃんとはまた距離ができていたけれど、会えば手を振り、お互いの誕生日には手紙を送り合っていた。
二重瞼になってから表情も明るくなり、友達もたくさんできて楽しそうに見えた。
ある時、しばらく見ないなと思っていたらアトピーの療養で四国の病院に数ヶ月入院していたこともあった。
そしてまたしばらく見ないな、また入院しているのかなと思っていたら、ゆいちゃんは不登校になっていた。
卒業式も間もなく、という時になってようやく姿を現したゆいちゃんは、派手な化粧に短いスカート姿で廊下を闊歩していた。
驚く私と廊下ですれ違う時、ペロリと舌を横に出して笑った。
卒業式の終了後、ゆいちゃんはピンク色の特攻服姿で不良集団たちと集っていた。
「ゆいちゃん、レディースに入ったんだって」と誰かが言った。
私はゆいちゃんがレディースに入ったということよりも、あれだけ頑張って我慢したり治療してきたゆいちゃんのアトピー肌に、べっとりと分厚い化粧が乗っていたことがショックであり、心配だった。
幼稚園の頃いつも繋いでいた私の右手には、ゆいちゃんのカサカサとした手の感触が残っている。
どうしてこうなったのか、やり切れない思いを感じていた。
しかし、私は自分の意思でゆいちゃんから離れたのだ。
ゆいちゃんも、私から離れて別の世界へ飛び立ったのだ。
高校生になっても私の誕生日にはゆいちゃんから電話があった。
「まりちゃーん!誕生日オメデトーー!」
明るくノリノリな声で、いつも周りが騒がしかった。
成人式で久しぶりに会ったゆいちゃんはホステスのママのようにゴージャスなヘアスタイルに、真っ黒なアイシャドウで囲われた大きな瞳、酒灼けのようなガラガラとした声で「まりちゃん」と私を見つけてくれた。
「ゆいちゃん久しぶり!今、何してるの?」
「キャバ。遊びに来てよ」
それが最後に会った私の記憶の中のゆいちゃん。
数年前、母がゆいちゃんのお母さんと久しぶりに家の前で会ったそうだ。
うちの実家の近くにゆいちゃんのお兄ちゃんが家を建てたようで、遊びに来ていたようだ。
「ゆいちゃん元気?」
聞いてよいものかと迷いながら母は恐る恐るとそう聞いたそうだ。
すると予想外の返事が返ってきたという。
「ゆいは元気。北九州で助産師として働いてるんです。仕事が楽しくってしょうがないみたいで、忙しくしててなかなか帰ってこないの」と。
北九州!助産師!
結婚はまだしてないらしく、日々仕事に打ち込んでいるらしい!!
なんなのそのドラマティックな激動の人生は!!
私の知っている20歳のキャバ嬢のまま止まっているゆいちゃんのその後の10数年を想像してみる。
想像の中だけでも、どこでどんな転機が訪れて北九州で助産師を楽しくする未来がどうしたって描けなかった。
「まりちゃんはどうしてるの?」
と聞かれた母は私の今を話したそうだ。
「結婚して子供2人を名古屋で育てているよ。」
なんとまあ平凡な人生だろう。
ゆいちゃんのジェットコースターのような人生を前にして、我がエピソードが弱すぎて情けなくなる。
ゆいちゃんのストイックさを私は思い出していた。
腕が真っ赤に擦り切れるまで振り続け、セロハンテープで二重まぶたにしたゆいちゃん。
突然冷たくあしらう私を哀しげに見つめるゆいちゃん。
環境が変わっても、昔の友の誕生日を忘れずに覚えてくれている義理堅いゆいちゃん。
日々、命と向き合う現在のゆいちゃんの姿を想像してみる。
きっと、パワフルな助産師として活躍しているのだろう。
人の寂しさや弱さにも寄り添える大人になっているのだろう。
10代の失敗も遠回りも大したことはない。
人生の中ではどれも失敗でも遠回りですらもない。
道を外れずに一つの世界しか知らない私よりも、ゆいちゃんは若いうちに広い景色をたくさん見て世界を広げてきたのだ。
ハムスター、モモンガ、カサカサの手、血のにじんだ体操服、ピンク色の特攻服、盛り上がった髪の毛、ペロリと出した舌。
私の記憶の中のゆいちゃんのカケラたち。